最期の日に

 

 

 
 その部屋もまた、急ごしらえを感じさせない心配りの行き届いた様子であった。
 余人の立ち入ることのない空間ではあったが荒れた様子もない。私物と呼ばれるべきものを持たぬ身であることを割り引いても清潔感の感じられる状態だった。仮住まいのこの部屋の主には最低限の身の回りのことだけは自分の手で済ませてることができている。そんなことがうかがい知れたことで、我知らず口元に笑みを挟んだ。
 その人は、ルルーシュの姿を認め、わずかに笑むと椅子を譲って膝をついた。ごく自然に。
 彼にとってそれが当たり前の所作なのだ。
「おはなしがあります。」
 頭の上から言葉をかける。
「なんなりと。」
 さらりとシュナイゼルが頭を下げる。
 悪逆皇帝はこれまでけして表に出すことをさせなかった、だがしかしこの偉業を成し遂げるに至ったたった一人の参謀の顔を改めて見る。
「明日も、晴れる予定です。視野がひらけば空が見えることでしょう。」
 世間話ではない。単に明日の予定の確認だ。
「ありがとうございます。」
 ねぎらいの言葉が続く。
「せわしない仕事をさせてしまいました。」
持てる限りの力を使い、効率よく。圧政という形で支配し、抵抗する力を根こそぎ奪うかのように、的確なダメージを世界に与えてきた戦後の混乱期。実務のほとんどを取り仕切り、雑用をさばいてきた能吏を皇帝が讃える。
「おかげで目標はほぼ達成できました。多くのくだらないいさかいに終止符が打たれ、今後の争いの種もぐっと減るはずです。……感謝しています。」
 一回り大きいシュナイゼルの手にルルーシュは自分の手をのせた。手の大きさに比して少し細めに見える指とその爪の形が、未だに少し似通っているようだった。
「だが、ここまでです。……この先の手順はおわかりですね。これでようやく我々はヒューマニズムに則りダモクレスのくびきを外すことができる。……だから。」
 ルルーシュは少し息をつき、しかしその顔を上げることもないまま抑揚少なく続けた。
「私はあなたを殺しに来ました。」
 
「この手を拘束させていただきます。」
否応なく、押しつけた言葉をシュナイゼルはだまってうけとめている。
「ああ、そのまえに……。」
 衣装掛けに支度された、貴人が住まうこの部屋にはいかにも不似合いな貧相な囚人着に目を走らせた。
「はい。」
 言葉に出すまでもなく、意図は通じる。先回りして主の意をくみ取る習慣ができているのだ。
 手際よく身支度を調えたシュナイゼルが、改めて膝をつき、両の手首を揃えて出した。
 ルルーシュがその手に縄をかける。
 圧迫されればはね除けたくなる。拘束されればどうしても外したくなる。それが人の常だというのに、シュナイゼルにはそれがない。それを絶対遵守のギアスのせいだと、決めつけてしまってもいいものだろうか。だがそれを判定することに意味などはない。
 暴れたりすることがあるわけがないと、ルルーシュとて思っていた。元々そう荒っぽいことをするような人ではない。まして自分の手を汚すようなことはしないだろう。それが、彼の思うシュナイゼルという人だった。
 
「これまでのことはすべて忘れていただきます。あなたはずっと、日の当たらない牢獄の中にいたのです。」
 かわりはないだろう。待遇など些細なことだ。意志を奪われ奴隷として働くのは牢獄に住まうより遙かに厳しい。ルルーシュはそう思い、そしてそれは表情に露わになっていた。
 意志を持たぬ人形のはずの、シュナイゼルの瞳に光が宿った。わずかに首を傾けるようにして、ルルーシュの顔をのぞき込もうとする。彼にとってただ一人の主を気遣ってのことだった。
「おやさしいことだ。」
 ルルーシュがさらに苦く笑った。
「……痛いですか?」
「大丈夫です。」
「きっと跡が残りますね。」
「かまいません。」
 小さなつぶやきのようなやりとりが続く。
 そしてその手を完全に拘束し終えて、一つ息をつくと改めてルルーシュはシュナイゼルに話しかけた。
「私は、ルルーシュです。私の顔をよく見てください。ご記憶でしょうか。……あにうえ。」
 薄青い瞳がルルーシュの顔を捉える。
「よく、聴いてください。私はゼロではありません。ルルーシュです。」
 瞳の奥がゆらゆら揺れる。
「この顔をよく御覧なさい。あなたの弟のひとり、ルルーシュです。」
「……わかっています。」
 じわりと韻を踏んだ言葉に、そう返したシュナイゼルの声はあくまでも静かだったが、瞳の奥は揺れている。
 
「私は兄上が大好きですよ。」
「るるーしゅ……?」
 ルルーシュの指が、そっとシュナイゼルの手首に触れた。
「そうルルーシュです。そして、俺はゼロではない。」
「……ゼロ、ではない……。」
「兄上、私がわかりますか?」
「ああ……、ルルーシュ。」
そうして、その人は無事でよかった。と口にして微笑んだ。
「……反則ですよ、兄上。今頃そんなことを言うのは……。」
 片やシュナイゼルの顔は嬉しげだった。
 自分の背はこれ以上、伸びることはないだろう。上背も肩幅も、結局兄には追いつけなかったと言うことだ。ルルーシュはそれを今まで気にしたことはなかった。持って生まれた個体差など、取るに足らないことだと思っていた。
「わたしには10人の兄がいます…。そして、兄上にはもっとたくさんの弟が……。」
 兄の腕の中はいつでも広かったものだ。いつまで経っても、届かないほど。
「だから……、特別ではいけない。そうお約束したでしょう……。私たちは。」
 小さかった弟が、するりと兄の膝から滑り降りる。
「私は君が大好きだよ。」
 シュナイゼルが言う。ルルーシュのうつむいたままの瞳が、瞬いた。そう、それはどの弟にも向けられる言葉なのだから。
「兄上、今宵限りでお別れです。もうすぐ夜が明けます。朝には私は兄上を処刑台に乗せる………。だから、お別れなんです。」
 感情を読み解くことはできない。ただ自分に向けられた青く透ける瞳を見返す。
 
「兄上にはゼロが居ます。きっと明日はゼロが助けに来てくれます。」
 ただ、ルルーシュはそう話した。
「ゼロが兄上を助けたら、きっと兄上はゼロに仕えてくれますね。今世界中の誰もが等しく悪逆皇帝を憎んでいます。明日はこの渦巻く恨みと怒りが消える日です。混乱を最小限に抑えるために様々なケアが必要でしょう。ゼロは無辜の民を導くもの。人命を犠牲にすることを嫌います。どうか、ゼロを助けてください。」
 それは命令ではなく。
 何の拘束力もない言葉だった。
 

 

 

 

INDEX

 
 
 
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要加筆な感じですが。かなり時間がかかって予定に食い込んでいるので、ここでいったん〆