黒いベルベットのタイをひっぱってほどきながら、ロロは溜息をついた。
今日も一日つまんなかった。
少年がなにげなく向かっている鏡は、額縁にそれとなく宝石を飲み込み過度な装飾が施された豪奢な品だ。柱に掘り込まれた文様と揃えられていることから建築当時からの品だということがうかがわれる。しかし磨きたてられた鏡には歪みも曇りも見えない。
由緒正しいこの屋敷は、鉄格子の柵と庭と称する広大な林に囲まれている。
天井画まで埋められた明らかに一人で使うには広すぎるこの部屋には、インテリア、と称していいのかも迷うような装飾品が埋めている。
無駄なものだ。
なぜなら、これらのどれを一つとっても少年の心を慰めることができないのだから。
老執事と料理番とメイド、それから庭師。この屋敷の主であるはずの少年は彼らにまったく関心がなかった。少年の身の回りを世話をする、と言うより屋敷を維持管理するのが彼らの仕事だったからだ。
少年は毎日教会に行く。祈りを捧げる人たちを横目に自分の仕事をこなす。
最小限の挨拶だけはするけれど、手際よく自分の役割を果たす事に専念している。
ロロはそれ以上のことを望まない。
そんなロロのココロを捉えるものが一つだけ。
鏡の向こう。奥の部屋に繋がる扉のそばで、ぴょこんと白いものが動いた。
それを視界の隅に捉えたロロは、自分の口元が笑みに弛んだ事に気がついていない。
奥の部屋はゆりかごの間。ロロが生まれてから傍に置いたおもちゃたちが詰め込まれている。屋敷の人間はこの部屋には入らない。
だから。だからロロは連れて来たのだ。
何人にも興味を示すことのなかったロロが、はじめてうさぎを抱き上げた日、きっと世界は変わったのだろう。
うさぎは弱っていた。大きな傷も見えていた。放置していては助からないだろうと思われた。それをそのまま眠らせてやるほど優しい気持ちにはなれなかったから、部屋において眺めていたのだ。
とくに手当てをしてやるでもなかった。思いつきもしなかった。
ただ薄暗がりに置かれ、静かに昏睡することができたことで、傷を抱えるように丸まっていたうさぎは少しずつ力を取り戻していったのだ。
ひくひく震える小さな耳を。傷を舐めている様子も。傍で見ていてロロはだんだんにうさぎを応援するようになっていた。
汚れたうさぎが実は白い毛並みを持つことを知ったのは何日も経って、傷が塞がったうさぎが自分で歩くようになってからだった。うさぎは部屋を荒らさなかった。養うのにも特別な餌があったわけじゃない。廊下の花瓶からやわらかい葉をつけた枝を抜いただけだ。‥‥今は、緑の葉の鉢が部屋の一隅に置かれている。うさぎはありったけ食べるようなことをしなかった。なぜかいつもきれいな葉ばかり選んで一定量を残していた。それをまた、次の日少し分けて食べる。このうさぎにはそんな習性があるようだ。
かしこいうさぎはロロのカオを覚えたようだった。
うさぎが時折自分を見ている事にロロも気がついていた。
だから、いつのまにか笑い返すようになっていた。
ロロはいつもうさぎを寝床に入れる。
小動物のぬくみが好き。心臓の鼓動を聞くのも好き。‥‥だから。
うさぎは時々月を見る。
耳を後ろに垂らして鼻を上げ、ぼんやり月を見ている。
それを見ているとほんのり不安になるけれど。
ロロは軽く首を振る。
どうせ今だけのことだから。
そして何も気がつかないふりをしてうさぎを抱いたまま目を閉じるのだ。
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‥‥うさぎさん、なにがあったの?って、おまえが言うなー!
ロロの日だったので。